2013年7月31日水曜日

ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域 地域が自立するための経済学』

これは古典的名著。1984年に書かれた本だが、いまだに新しい。いや、いまこそ新しいと言うべきか。日本についても詳しくこの本で日本についての記述も多い。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と日本人が舞い上がっていた時代であったが、著者は日本の発展を素直に高く評価すると同時に日本列島に内在する問題として「自立できない地方の中央への依存体質」を鋭く指摘する。この問題は今後の日本にとっての最大の発展阻害要因となるであろうと日本経済の長期衰退入りを予測するのである。それに対する処方箋も的確に書かれているが、残念ながらこの処方箋は政治的な理由によりほとんど実施されなかった(解説を書いている鳥取県知事片山善博氏が彼女の処方箋に沿って努力はしておられるが如何せん地元へのご配慮から隔靴掻痒の感がある)。やっぱり日本経済はその後20年以上衰退を続けることになった。

著者はその道では超有名な人。高等学校しか出ていない独学の市民運動家であるが、都市問題の権威であり、黒川紀章も翻訳を手がけている。孤高の経済学者でもありアダム・スミス以来の経済学をこてんぱんに批判しながら宝石のようなユニークな真理をどかどか提示する。日経センターの重鎮香西泰氏も彼女の本の翻訳を手がけている。近年89歳で亡くなられたのでもう彼女の本は出ないし入手も難しくなるであろう。幸いこの本はちくま学芸文庫入りしたので当面大丈夫。おすすめ。

内容をかいつまんで紹介すると、著者は「国民経済」という平均値的概念を真っ向から否定する。経済を支えるものはあくまでも「都市経済」であり、国家の経済発展を持続的に出来るかどうかは都市経済とその周辺地域の関係がどうなっているかが問題となるという。つまりマクロ経済学は役に立たないと言うこと。ほとんどの場合、都市経済は外的要因によって発展し、発展の成果は都市及び国内地域で浪費され、輸入代替が進まず、発展の要因となった外的要因が消滅すると同時に都市と国の経済が衰退に向かうという。いかなる開発計画も不毛の結果を生むだけで〔TVA はみごとな失敗例〕なんの役にも立たない。役に立つのは自己消費分についての不断の輸入代替努力だけだと(東京周辺の山村「シノハタ〔仮名〕」の例を挙げて〕分析する〔彼女は「輸入代替(Import substitution)」という言葉を使わず「輸入置き換え(Import replacement)」」と言う言葉を使う。理由は書いてないけど輸入代替と言う言葉は過去の経緯から印象が悪いからであろう〕。要は少しぐらい品質が悪くて値段が高くても我慢が大事という。この辺TPP反対論者が大喜びしそうな議論だが、彼女が言っているのは生産性の悪い地域では生活水準をそれに応じて落とさないといけないと言うこと。地方が補助金・交付税に頼って身の程を超える生活を送ることは、その地域ばかりか国家経済全体にとっても破滅的な結果になるという。誤解なきよう。一番いいのは地域がそれぞれ為替レベルを決定できるように地域ごとに独自通貨を持たせることだが、これは政治的に難しくようやらんだろうし、細かい政策を「場当たり的〔インプロビゼーション的)に積み上げて行くしかないと、これまた大人の現実的な処方箋。

日本ばかりでなく、最近のEU問題〔ギリシャ、ポルトガルなど〕をみても彼女の言っていることは重みがある。EUについては「フランスの後進地域へ払う補助金を誰が負担するのかが問題。フランスは先進工業地帯であるドイツと北欧と北イタリアがそのカネを払う仕組みを作りたいが、イギリスはそれに真っ向から反対し、ドイツなどから搾り取ったカネはイギリスの後進地域に回すべきだとしている。これが英仏対立の根本原因だ。」と分析。彼女には20年前から真理が見えていたのである。

発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学 (ちくま学芸文庫)

2013年7月28日日曜日

アザー・ガット『文明と戦争 (上・下)』

たいへんな本である。人間はなぜ戦うのか?戦争とは人類共通の自然状態にもとづく現象なのか?それとも文化が発明したものなのか?文明の誕生、国家の勃興によって戦争はどう変化したのか?21世紀社会が直面している戦争の脅威とは何か?どう対応するべきなのか?……これらの根本的問題に対して著者は、生物学、人類学、歴史学、社会学、経済学、政治学の最新成果を自在に引きながら懇切丁寧に解明して行く。博覧強記ぶりは驚くばかりだが、同じページに紀元前5世紀のメーロスとアテネの戦争と20世紀のアルジェリア戦争の話が混在したりして、翻訳も文章がこなれておらず、かなり読みにくい本ではある。しかし一読の値打ちあり。現代人がいままで信じていた思い込みがまるで間違っていたことに気づかせてくれる個所が多々あるのだ。裨益するところ多大。

まず著者は「動物は戦争をしない、ヒトも文明に毒される前は平和に暮らしていた」とする、いまだに多くの信奉者を有するルソー的思想を、木っ端みじんに論破する。動物も同種で殺し合いをするのだ。原始的な狩猟採取民族は現代人以上に殺し合いをする〔暴力による死亡率は大量殺戮で悪名が高い20世紀の世界大戦時期よりはるかに高い〕。これは進化論に沿った自然の現象なのだと過激な発言も。考古学と人類学の最近の著しい発展がこれらを明らかにしたとのことだが、ポリティカリーコレクトじゃないこと甚だしい。なかなか邦訳が出版されなかったわけじゃ。

以後、延々と古代から現代にわたり戦争形態の推移を分析して行く。いちいち述べないけれど、興味深い。国家があってそれ故に戦争が生じたと言うよりも、戦争をするための権力機構として国家が形成されていったという過程がよくわかる。

ヘンなことで感心した。戦争時、人口の1%が徴兵動員の目途となるとアダム・スミスが書いており、それがいまだに鉄則である由。非生産部門での雇用が1%を超えると国家経済は戦費〔兵員のお給料〕を持続的に負担できなくなるとの計算。例外はナポレオン戦争当時のイギリスだがこれは借金でカバーできた。イギリスの信用力(イギリスは戦争に勝つだろう、それで十分儲けるだろうとの市場の予測)が低利での債券発行を可能にしたらしい。ひるがえって現代日本のケースを考えると兵員数でこそ1%に満たないものの、税金や補助金で食っている非生産部門の雇用は優に人口の1%を超える。それら部門は将来儲かるとも思えない。こういうことからもバラマキ行政はもうサステイナブルじゃないのだなと、感心した次第。

20世紀になり先進諸国は豊かになり、戦争で失うものの方が得られるものより大きくなり、また人道主義が広がるにつれて、大きな戦争をすることは難しくなったことも分析される。一方で、貧しい国では依然として昔の価値観が支配している。大国が強力な武力を用いて小国を蹂躙するという歴史的なやり方が通用しなくなっていることも加わり、大国が小国に勝てなくなった、加えて最終兵器としての大量破壊兵器の普及、テロリズム、21世紀は難しい局面となるだろう、国際的なセキュリティー情報交換を地味に積み上げて行くしかないという著者の説明は、とんでもない隣国を抱える国の国民の一人として、素直に納得できる。

文明と戦争 (上)


文明と戦争 (下)

2013年7月24日水曜日

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか〔"Why Nations Fail")』

副題は「権力・繁栄・貧困の起源」。大力作である。ノーベル経済学賞の歴代受賞者が絶賛。ワシントン・ポストやエコノミスト、フィナンシャル・タイムズの年間ベストブックに選出されている。名指しで痛烈な批判を浴びたジャレッド・ダイアモンド〔『銃・病原菌、鉄』の著者〕でさえも「実に読ませる本」と褒めているぐらい。昨年出版されたばかりの筈だがもう邦訳版が日本で手に入るようになった。明快で読みやすい日本語。おすすめ。

世界にはなぜ豊かな国と貧しい国が存在するのか? これがこの本の基本的なテーマ。著者は15年に及ぶ詳細な実証研究を積み上げ、その答を提示する。厳密な理論と実証による堅固なものだ。答は、地理的なものでも、気候的なものでも、文化でも、あるいは為政者の無知でもなく、ましてや病原菌などによるものでもない。「政治・経済制度」なのだ、という。

アフリカやラテンアメリカ諸国でどうして経済発展が進まないのか〔逆に退歩していったのか〕多くの実例を挙げて「彼ら〔支配階級〕にとって進歩しない方が合理的な判断だったから」ことを説明する。現場で働いたことのある人間ならものすごく納得するだろう。説得力ありすぎ。とても悲観的になる。ルソー信奉者やリベラルな博愛主義者は真っ赤になって怒ること必定。でも彼らも反論できないだろう。真実は真実であるから。

同時にこの本は極めて楽観的にも見える。問題は政治・経済制度にあるのだから一発クーデターをやって憲法を変えればいいだけの話、と見えるのだ。ところがそうは簡単に行かない。古い制度(著者は「収奪的制度 (Extractive institions}と呼ぶ〕」には強固な自己再生能力があり、表面的な変更はすべて無駄になるように出来ているのである。

著者が言う良い制度は(「包括的制度 (Inclusive institions)」と著者は呼ぶが)多元的な市場主義とでも思えばいいが、具体的にその包括的制度のもとで発展を遂げた国はアングロサクソン諸国しかない。著者はフランスが革命後包括的な制度に移行したと言うが厳密に考えれば旧制度はあまり変わっていない〔トクヴィルもそう書いている〕。日本を旧制度から脱出に成功した例として挙げているが、明治維新は確かに革命的であったにせよ、社会制度はより多元的になるどころか一元化し、中央収奪的な経済発展が志向された。現在でも既得権を握る集団による収奪的制度が堅持されている〔日本の場合に収奪が意識されないのは収奪する方が多数派であるため。人口の54%が既得権受益者との計算もある。しわ寄せは若年層と将来世代に集中する〕。

収奪的制度下でありながら短期間は生産要素投入量依存型〔技術進歩なしで〕の経済成長を実現させることは可能。これはソ連とナチスドイツ、さらには最近の中国だという。著者はこれは永続できない経済発展型式であると断定している。さすれば日本を成功例として挙げるのはどうかとも思う。著者の理屈をそのまま援用すれば、日本のバブル後の長期停滞は、必然性のある歴とした筋が通った話ということになるからである。

さらに、著者はイギリスの発展〔産業革命〕の転機は1688年の名誉革命だと何度も述べるが〔あたかも名誉革命を真似すればすべてうまく行くかのような錯覚を与える表現だが〕、著者も十分承知しているようにイギリスの制度改革は13世紀のマグナカルタに始まるものであり、そのベースには少数のノルマン征服王朝に支配されたアングロサクソン貴族の自立心がある。イギリスの制度改革は一朝一夕になされたものではなく、また人類史的に見ても極めて例外的な事例なのである。真似しようとしても真似できるものではない。

要は、この本の結論は、一見楽観的に見えるものの、アングロサクソン文化を共有しない地域では著者の言う包括的制度の確立による好循環の経済発展は無理だということとも十分に読めるのである。あらら。

最近の歴史統計学の進歩により、ローマ時代から現代までの世界の一人あたり所得の推移がわかるようになっている。一人あたり実質所得では18世紀前半までほとんど変わらなかった。つまり歴史的に人類史においてはこの「収奪的制度」が長く支配的であり、いまでも支配的なのである。産業革命とそれに伴う所得の激増は極めて例外的で一時的な突発事件として考える方がいいのかも知れない。まさに議論を呼ぶ本である。

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源


国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源



2013年7月21日日曜日

臼田昭『ピープス氏の秘められた日記 ー17世紀イギリス紳士の生活ー』

時は17世紀。クロムウェル共和制が終わりチャールズ2世の王政復古が始まったイギリス。海軍省で働く一人の役人が、日常生活と当時の世相について実に克明な日記を綴っていた。当時の社会風俗世相を知る上で欠かすことの出来ない第一級の史料として非常に有名な本であるが、邦訳で全部で10巻。一巻だけでも数千円以上の価格が付いておりちょっと手が出にくい。この本〔掲題〕はこの膨大な日記を要領よく時代別に整理し、解説を加えたもの。わかりやすくとてもオモシロイ。

日記と言えば、いくら秘密の日記と言えど、ある程度読者に読まれることを想定して書かれているのが普通。事実をねじ曲げないにしても、自分に都合の悪いことや恥ずかしいことは意識的に書かなかったりする。永井荷風の『断腸亭日乗』なんかはその最たるものだが、このピープス氏の日記はそういうことが全くない。なにせ全文暗号で書かれていたのだ。なぜ暗号だったのかというと、まず奥さんに知られてはとても困ること〔内容は想像が付きますね。彼はとても恐妻家だった〕が延々と書いてある。次に自分の仕事〔海軍省の資材調達)で公にされるととてもまずいことだ(役得がすごかったみたい。でも彼は細心の注意を払い帳簿のつじつまを合わせ、業者と口裏を合わせ、万全の手はずを整える〕。

最初の奥さんに知られるとまずいことは置いておいて〔彼のケースは現代の常識からするとちょっと桁外れにスゴイとは思うが、武士の情けじゃ〕、海軍省の公務関係の話がとても面白かった。当時のイギリスは貧乏国。そのくせオランダと戦争ばっかりして〔いつも負けて〕水兵に払う給料さえまともに払えないほどの財政事情だった。そのくせ王室は贅沢な生活を続け、宴会や賭け事なんかで大金を浪費する。議会は腹を立てて増税には一切協力しない。公務員のお給料も滞り、ピープス氏でなくともたいていの公務員は俸給外収入がないとやっていけない状態だったのである。高級公務員はたいてい貴族出身で、実務はまったく知らない無能ばかり。収賄だけが生き甲斐だったような連中が大部分だったようだ。

その中でピープス氏の有能ぶりは飛び抜けていたと思える。仕立て屋の息子でありながら大学に進み、成績優秀で海軍省に取り立てられ、だんだん出世。彼以外はみんなそうそうたる貴族で構成される資材調達担当委員会の下っ端となるが、他の連中の尻ぬぐいから全部、実質的な仕事は彼がやることになる。ピープス氏は女狂いの悪癖があるがとにかく仕事は出来たようだ。オランダにボロ負けした責任を海軍省に押しつけようとする「政治的な動き」にも、ピープス氏は単独で立ち向かい、3時間に及ぶ議会喚問証言を切り抜ける。〔ちなみにここで書かれている議会証言のコツは現代にも通じるものがある。議会には決して肝腎の事実を伝えない。雄弁に説得力ある証言をしなければならないが、肝腎のことは断固としてしゃべらない、というもの〕

ピープス氏はこの議会証言で国王にエラク褒められる〔それを自慢たらたら日記に書いている〕。最後は海軍大臣にまで出世したのだからえらいものである。こういう能力主義が、当時弱小国に過ぎなかったイギリスを世界の強国に育てていったのかも知れないと、妙に納得。

1665年のペスト大流行、1666年のロンドン大火を、実際に現場で経験した人物による詳細な記録としても、この日記は価値がある。


ピープス氏の秘められた日記――17世紀イギリス紳士の生活 (岩波新書 黄版 206)


2013年7月20日土曜日

鹿島茂『情念戦争』

前回は「情念」についてであったが、この「情念」が具体的に爆発するとどういうことになるのか。それが結構オモシロイのである。鹿島茂の掲題の本を読めばわかる。帯にはこうある:
ナポレオンの熱狂情念。タレーランの移り気情念。フーシェの陰謀情念。
三つのパッションがであったとき、世界史は動き出した!
月刊「PLAYBOY」誌に連載されたもので、とても読みやすく、内容も適度にきわどくどぎつく、史実も詳しく、とても勉強になった。まさに鹿島茂節全開。頗る妙。

情念戦争

ナポレオンの熱狂情念はよく知られているところ。灼熱のアフリカから極寒のロシアまでの戦場で、300万人に上るフランス人兵士を死なせてしまってもナポレオンの熱狂情念はおさまらない。そんな皇帝のエルバ島からの帰還を「皇帝万歳」と叫んで迎えた当時のフランス人も皆この熱狂情念に燃えていたのだろう。げに恐ろしきものは原理主義ナショナリズム。

タレーランの情念はこれとはかなり異なる。名門貴族で、放蕩の限りを尽くし、せっせと収賄とインサイダー取引で蓄財に励み〔なんせ外務大臣だったから条約締結前にその国の国債を売り買いすれば馬鹿みたいに儲かった。おまけに敵国のスパイとなって報酬をせしめていた〕、しかしながら抜群の外交的才能でもってフランスに多大の利益をもたらし、自分の親玉に将来性がないと知るや否や次の「当て馬」に乗り換え(なにせ革命後のすべての政変で皇帝、国王のキングメーカーとなった)、かくして長い政治生命と物理的長寿を全うしたタレーランの情念は「移り気情念」と言うらしい。鹿島茂はかなりこの人に肩入れをしている。性格が似ているからであろう。

フーシェはタレーランと全く異なりすこぶる謹厳実直な堅物。趣味も理想も持っていない。ただあるのはものすごい生存本能。革命後に吹き荒れたロベスピエールのギロチンの嵐もいつもすれすれですり抜け、ルイ16世の処刑では決定的な賛成票を投じたり(彼の一票で処刑が決まった)逮捕した王党派を大砲の葡萄弾で「能率的に」大量処刑するなどめちゃくちゃをやりながら〔これらすべて彼の保身のためというのだから恐れ入る〕、自分を中心とした巨大な私的スパイ網を築き上げて〔なんせナポレオンの愛妻ジョセフィーヌまでがフーシェの情報源だった〕みんなの弱みを掴むことで、王政復古の時代まで政治生命を失わなかったのである。彼のは「陰謀情念」と言うらしい。

この三人の「情念」が絡み合ってヨーロッパを爆発させる。とにかく面白い。来るべき21世紀の乱世を生き抜く上でもとても参考になる。若い人は読んでおくべきであろう。

圧巻はナポレオン戦争で敗戦国となったフランスから一人オブザーバーの資格でウィーン会議に乗り込んだタレーランの活躍ぶり。会議での発言権はないものの列強の利害対立を巧みに利用し「ナポレオン戦争はナポレオン一人のせい。フランス王家は革命の被害者である、ルイ18世のフランスは革命で失ったものを取り戻す権利がある」といってあれだけ悲惨な戦争を引き起こしたにもかかわらず、フランスは戦争賠償金は一銭も払わず、逆に領土を広げることに成功するのだ。廊下鳶(ろうかとんび)・耳打ち外交だけで。

タレーランがウィーンにフランスの高名な料理人を連れて行き毎晩うまいものを客に振る舞ったことも成功の要因だったらしい。各国代表はおフランス料理にコロッとやられてしまった。世界一流の文化とはときとして大砲よりも有効な武器となるのである。

2013年7月17日水曜日

ハーシュマン『情念の政治経済学(”The Passions and the Interests")』

「貪欲は善である("greed is good")」というのは映画「ウォール街」でのゴードン・ゲッコー〔マイケル・ダグラス〕の名〔迷)言。いまでもファンドマネージャーなんかの間ではこの言葉の信奉者が多いみたいで、現代資本主義の金儲け主義を表すまさに「21世紀的」表現だと思っていたが、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパの知的エリートの間でも広まっていた概念だったことをこの本で知った。フランスのモンテスキューとイギリスのジェイムズ・スチュワートだ。彼らは本気で資本主義の貪欲な金儲け主義こそが専制政治の暴走の抑止となり国家を救うと信じていたのだ。

つまり専制君主は貴族的で高尚な目的を絶対視する傾向があり一般国民はその都度多大の犠牲を強いられることになる。それを防止するには、経済的利益を前面に打ち出して「そんなことをやれば損をしますよ」とか「そんなことをするお金がないですよ」と言って目を覚まさせる必要がある。貪欲な金儲け一番主義こそが専制政治の情念の爆発を抑止するというもの。考えてみればアレキサンダー大王の「英雄的」な世界征服は母国マケドニアには何らの経済的利益をもたらさなかったし、多くの国民は無惨な死に方を強いられた。経済的な利益などもともとアレキサンダーの眼中にはなかったのだ。まさに情念戦争。それに較べれば貪欲資本主義の方がよほど平和的。

しかしこのモンテスキューらの考え方は、「貪欲も情念の一種」と見なして経済モデルを構築したアダム・スミスなどの登場により、一般的にはならず、いつしか忘れられてしまっている。でも現代社会を考えるにあたり、こういう考え方があったという事実を知っておくことが思考の幅を広げるとハーシュマンは述べるのである。

正直おいらにはちょっと難しい本。でも昨今の世界情勢を見るに、この「情念の政治」が再び支配的になりつつあるような危惧を覚える。原理主義に基ずくテロリズム、過激な環境保護団体による暴力行為、有無を言わさない自称「正義の味方」信者集団。それに較べればゴードン・ゲッコーの「貪欲こそ善である」の方がよほど可愛らしいのかも知れない。

ちなみに翻訳は佐々木毅。東大総長も務めたニッポンの政治学の世界で一番エライ人。少しはニッポンの政治にこの本から得た知見が反映されたのかを考えると、少々心許ない気もする。

いろいろ考えさせられました。

情念の政治経済学 (叢書・ウニベルシタス)


おまけとしてゴードン・ゲッコーの「貪欲は善である」スピーチのさわり部分を紹介。演じたマイケル・ダグラスはファンドマネージャーから英雄視されてレストランなんかで追っかけ回され、実生活では「リベラル」な彼は迷惑したそうだ。

2013年7月12日金曜日

キャロル・グラハム『幸福の経済学』

著者は世銀やIMFで働いてきた国際経済・開発問題の研究者。職業柄、社会の「幸せの尺度を測る」ということを熱心に研究してきた。この本では考えられるほとんどすべての尺度が紹介される。同時にこの人はとても正直な人物でもある。「そんなものはない」というのが結論であるからだ。自分たちの仕事のメシの食い上げにつながる事実を勇気を持って公表したのは、エライ。

幸福の経済学―人々を豊かにするものは何か


人間の幸福とは、最低生存レベル所得水準さえクリアすれば、後は所詮、比較の問題にしか過ぎない。一番先に来るのが隣人との比較〔虚栄と嫉妬〕。それに加えて過去将来との比較〔懐古と願望〕。経済文化のグローバル化で隣人の範囲が飛躍的に広がり、且つゼロサム的な伝統的低成長時代に復帰すると〔そうならなければ逆に地球は人間の重さだけで破裂してしまう〕、ヒトは常に不機嫌とならざるを得なくなるのだ。人間とは罪深い生き物である。

そんなことを考えたら昔の人の知恵はすごかったことがわかる。釣り人が好む格言に次のようなものがある:
  一日幸せになりたければ酒を飲みなさい 
  三日幸せになりたければ結婚しなさい
  七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい
  一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい
中国の古裡だというがみごとに幸せの本質を述べているではないか。酒も結婚も豚肉飽食も、すべての物質的なものは永続する幸福には繋がらないのである。斯くして人間は釣りみたいな「暇つぶし」に幸せを発見する。

釣りと言えばアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』。「穏やかなることを学べ ("study to be quiet")」という名言で知られるが、最近この言葉もウォルトンの言葉ではないことを知った。原典は聖書「テサロニケ人への手紙1」:
4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。
繰り返して言う。昔の人は偉かったのである。

完訳 釣魚大全 (角川選書)


2013年7月11日木曜日

グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』

一万年の次は10万年かよ」と辟易することなかれ。この本は読むべし。良書である。第一章〔概論〕に示されたグラフを見るだけでもこの本〔上下〕を買う値打ちがあることがわかる。紀元前1000年から19世紀の初頭まで、世界の国々の一人あたり実質所得はほとんど横ばいで推移したのだ。それが19世紀の産業革命で劇的に変化する。先進諸国で一人あたり所得が激増するのだ。一方でその他の国々では逆に紀元前に水準以下にまで逆戻りしてしまう。なぜこんなことが生じたのか?著者はマルサスやダーウィンの理論を実証する形で、さまざまな統計データを駆使しながら、非常に緻密に検証して行く。これは職人芸。

それにしても邦訳タイトルはあまりに真っ正直でつまらない〔例によって出版社は売上を気にしたのだろう〕。原題は "A Fairwell to Alms"。ヘミングウエーの『武器よさらば』じゃないかと空目してしまうが、よく見ると "Arms〔武器〕" ではなく "Alms(援助)" となっている。つまりこの世界の富の格差問題には有効な解決策は見あたらないという著者の悲観論が結論になっているわけ。これもあまりに真っ正直な話ではあるが、偽善を信じ続けるよりは遙かに建設的。結局、今後も先進諸国への貧困国民の大量移住が続くし、これしか世界の貧困問題の解決策はないと言うことかも知れない〔ゲルマン大移動の21世紀版か〕。買う気がしなくなったかも知れないけど、分析手法自体〔及びそれが明らかにするディテール〕が非常に興味深いので、心からおすすめ。

10万年の世界経済史 上


10万年の世界経済史 下

著者〔グレゴリー・クラーク〕は、日本に住んでいて房総半島に「俺様キングダム」を建設してしまったグレゴリー・クラーク教授とは別人物。英国とインドの経済史を研究してきたアメリカ人である。

ちなみにやたらとジェーン・オースティンの『高慢と偏見』が引用されている。エリザベスの家族は「貧しい」とはいいながら当時の英国社会では上位1%に入る富裕層家族だったとか、お金持ちのミスター・ダーシーは召使いを50人は傭っていたはずだとかいろいろ。確かにあれは面白い本なので女性専用にしておくには勿体ない書物である。小説を読むのが面倒な人にはBBC製作のドラマDVD版がお奨め。やたらお金の話が「普通の家庭」の会話に出てくる。これこそ産業革命の原動力だったのか〔とはおいらの新説〕。


高慢と偏見 [DVD]

2013年7月10日水曜日

ダニエル・コーエン『経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える』

なんとも長ったらしいタイトル。原題の直訳『悪徳の栄えー〔不安になる〕経済学入門』("La Prospérité du vice: Une introduction (inquiète) à l'économie")そのままの方がよほどよかったと思う。著者はオランド大統領のアドバイザーでもあるフランス人だが、名前からしてユダヤ人。頭脳明晰、博覧強記。マルサス、アダム・スミス、マルクス、シュンペーター等などを的確に引用しながら、現代社会とはなんと狂気に充ち満ちた世界であるかを説得力ある形で分析する。説得力ありすぎ。読んだら将来について悲観論者になることを保証します。特に巨大新興国に隣接する日本は過去の経緯から見てとてもやばいと思う。

経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える


思い出したのは、チャーチルのこの演説。必要となるときが來ないことを希うのみだ:

ウィンストン・チャーチル - Wikiquote: we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender,

2013年7月9日火曜日

ポール・J・ザック『経済は「競争」では繁栄しない」(The Moral Molecule)

邦訳版の題名は『経済は「競争」では繁栄しない』というものだが、優しさ一辺倒の現代ニッポンの風潮に乗じてカネ儲けようとする出版社の助平根性が垣間見えた感じで、いやらしい。原題は "The Moral Molecule" 。「道徳的分子」とでも訳すべきか。あるいは『経済は「協調」だけでは繁栄しない』との題名にしても著者の言いたかったことと大きくは違わなかっただろう。著者が明らかにしたのは血液中には人間の協調・信頼をもたらす物質〔オキシトシン〕と暴力と競争をもたらす物質〔テストステロン)の二つが微量含まれており、それらは人間行動に大きな影響をもたらすということなのだから。

攻撃性に特化したチンパンジーも協調性の権化であるボノボも共にジャングルから脱出することが出来なかった。ジャングルを脱出し新天地の王者となったのは攻撃性と協調性の両方を適度にバランスよく保有していたホモサピエンスなのだ。著者も両者のバランスの大切さを何度も言っている。人間万事バランスが大事。

もっともすべての商取引の原点は信頼関係にあると言うことは、太古の昔から変わらない。現代社会はちょっと金儲けの方にぶれている感じもする。

著者は20年間もあらゆる機会に人々を注射器片手に追っかけ回し、膨大なサンプルを集め、ついにこの微量血液物質を発見し「神経経済学」という新しい学問分野を切り開いた特異な人物。アダム・スミスの『道徳感情論』を高く評価する経済学者でもある。

感心するのは、こんなへんな研究にお金を出し続けてきたアメリカの大学。ニッポンとは懐の深さが違うわ。

経済は「競争」では繁栄しない――信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす 愛と繁栄の神経経済学

2013年7月8日月曜日

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』読んだ!

目からウロコ。ホモサピエンスは本質的に合理的な判断なんか出来ないことが多いのだ! この新理論でいままで説明が付かなかった多くの社会現象がみごとに説明できてしまう! 著者〔カーネマン〕はこれでノーベル経済学賞を受賞。人間は全体では必ず合理的な判断をする生き物であるというアダム・スミス以来の「経済学」とはいったい何だったんだろうね? 世の中理屈通りには動かないと「うちのおばあさん」がいっていたことがやっぱり正しかったということ。裨益するところ多大。 

それでも分からないことがひとつ。こんな「アホ」なホモサピエンスがどうしていままで生存し続けてきたのだろうかと言うこと。きっと他の動物がもっとアホだったからに相違ない。


ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか? ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?